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生きるために、死に方を決める!?






久しぶりに哲学のこと、といっても今回はもやもやを吐き出す感じのブログを書きます。

前にも少し書きましたが、目標があって初めて今やるべきことが決まる、という考え方でいくと、今日という1日は人生の目標があって、そこから逆算して決まっているはずです。
とはいえ、皆さん誰一人として一人で生きている訳ではないと思いますので、外部要因によって決定づけられたすべきこと、というのはたくさんあると思います。(仕事はその典型)

人生の目標に照らし合わせて、その外的要因によって決定づけられている今日という1日が、目標につながっていないのであれば、その外的要因を取り除く=仕事であれば転職を考える、ということも必要になってくるかもしれませんね。

今日は、今のことではなく、目標に焦点をあてて考えてみたいと思います。

人生の終着点だけは、みんな変わらず決まっていますよね。そう、死です。
逆説的ですが、日々死に向かって生きていない人はいません。時間が経つという事は地球上に生きている全ての人に取って、死に向かって行っていることに他なりません。

人生の終着点が死であるならば、我々の目標は死ぬことになるのでしょうか?今日という日の生き方を考えるためには、死を考える必要がある、いや、死を考える事そのものがそれと表裏一体の生を考える事になるのでしょうか?

私には分かりません。
人生の目標を定める、ということは「どんな死を迎えたいか」を決めることなのでしょうか?
まだまだ青二才の私には、いまいちピンと来ません。

でも、中長期的に成し遂げたいことを決めて、そのために日々を生きる必要はありそうですね。
例えば、30までに結婚をしようと思うならば、それまでに結婚資金を貯める、月にいくら貯金する、そのために1日の食費は○円までにする、とか。(超現実的ですみません)

果たして、「人生という名の列車」"A streetcar named life"が向かう先はどこなんでしょうね。
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